私は、父親の影響からか、「宇宙」というものに憧れています。
大好きだった渋谷の五島プラネタリウムの閉館は今でもすごく哀しいし、ペプシが行った「宇宙の旅プレゼント」は応募したし、今でも「人生の夢」は「『地球』をこの目で見ること」だったりします。
そんな中、1/21日本経済新聞の小さな記事に目を奪われました。
「南極は、生命を寄せ付けないという意味で『宇宙につながる窓』と感じた。」

素晴らしい!
南極にいる方々の仕事や日々の努力は単なる「宇宙への憧れ」みたいなことじゃ失礼にあたるほど尊い仕事をされているとは思うのだけど、実際に、宇宙を見てきた毛利さんの感覚で彼がそう感じたのであれば、もしかしたら、本当にそうなのかもしれない、と感じた。
なぜなら、死を間近に体験した人が、その体験後、価値観が変わることが多いのと同じように宇宙を実際に見た人で価値観が変わる人は多いと聞くし、そういうようなことが見えたり、感じたりできる力が生まれるようになると思うから。
私の父や母も祖母も祖父も、その祖母も祖父も、もっと言えば、私の祖先の代から今までしがみついて生きてきた、いや、しがみつかざるを得なかった、この「地」。
地球
私は、死ぬまでに一度でいいから、
この「地」を離れ、
この宿命の「地」を見おろしてみたい。
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